という考え方があります。
このコストは金銭的なものだけではなく、時間的なものや、手間なども含むものです。
子育てにかかるコストは年々高くなっているという印象を強く受けるのですが、
今回もそのコストを更に押し上げかねない事件がありました。
2014年9月現在、神戸で起きていた女子児童の行方不明事件です。
この事件は、最悪の結果となりました。
「もう、小学1年生を一人で歩かせることができないのか」
というのが、現在の考えです。
同じくらいの娘を持つ親としては、非常につらいものです。
小学1年生は早く家に帰ってきますが、一人でお使いにも行けない。
図書館にすら一人で行くことができないのは自分が子どもだった時と比較すると、
やるせない気持ちになってしまいます。
(田舎で育ったので、都会育ちの人はまた違った感想をお持ちかもしれませんが)
小学生の外出に親が一緒に行く。
このことは親にとっても非常に負担になるものです。
物理的に時間が取られます。
10分お出かけするのに準備も合わせて30分かかるわけです。一人で準備させるにしても。
(実際は面倒を見るので更に時間がかかる)
また、現在行っている作業を中断するので元に戻すのに更に時間がかかります。
実際に子どもの付き添いに出かける以上に作業は滞ることになります。
人出があればいいって?
どこにありますか?
祖父母が近くにいればいいでしょう。でも、そうじゃないひとは?
共働きの人は?
下に小さな子がいる親は?
(下の子の準備をするのにも時間が取られるのです)
「じゃあ、どうすればいいのさ?」
というのが、現在の心境です。
・・・これ、社会に対してもいいものではありません。
子どもを育てるのに手間がかかる。
まあ、これは当たり前かもしれません。
でも、今まで一般的には「手がかからなくなり始めた」
と認識される小学生になっても、現在以上にコストを掛けなければいけない。
ということになれば、どうなるのか?
いくつかの影響は出てくるでしょう。
まず、社会の労働力は減ります。確実に。
これは自分の経験からも明らかです。
というのも、人材募集の時には結構応募があるんですよね。
小学生の子を持つお母さんの。
これらの人は社会に出て仕事をすることが難しくなってしまうでしょう。
もう一つの影響は、出産の問題です。
もう子どもは産まないよ。最初から子どもを作らないよ。
という流れになる可能性もあるでしょう。
だって、そうですよね。子育てに余計時間を割かねばなりませんから。
出産を希望しない。子どもの数を増やさない。
という変化が起きる可能性もあると思います。
一人の親としても、子どもに携わる職業に就いていることを差し引いても
頭の痛い問題です。