わかばひふ科クリニック(東京都武蔵野市吉祥寺東町)

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雑記

東京と雪国の雪への対応の違い

今回のお話はどちらかというと自分のためのメモのようなものです。

昨年2月の2度に渡る大雪を経験して、その対処法についてです。

今年は降らないといいな・・・

 

以前に山形県に合計20年ほど住んでいました。

雪は当然慣れたものですが、どうも東京では少し勝手が違いました。

大きな理由は除雪車が無いこと。

まあ、当然といえば当然のお話ですが、そのために機械力で大きな差が出ます。

極端な話、東京の雪はすべて人力で除雪するしか無いのです。

(まあ、例年東京に降る雪は微々たるものですから、問題無いといえば無いのですが)

 

除雪車が無いと、何が変わるか。

実は歩行者が一番迷惑を被るわけです。

 

除雪車は幹線道路だけではなく、枝道もある程度の道幅があれば除雪してくれます。

除雪車が通った後には歩行者は除雪された道を歩くことができます。

(歩道と車道が分離された道でのお話は後述)

雪の日は車の数も少なくスピードも遅いので、車道を結構快適に歩くことが出来るのです。

しかし、除雪車が無いと、枝道も雪が積もった状態になります。

したがって、雪をかき分けながら歩く必要がある。

そのために体力と時間を余計に費やしてしまうのです。

 

また、除雪車が無いと、幹線道路にもどんどん雪が積もってしまいます。

自動車は雪を踏み固めてくれますが、それが中途半端だと、

へんな凸凹した轍が残ってしまいます。

この轍で車も足を取られ、スリップの原因となってしまうのです。

コレも危ないのです。

 

もう一つ、排水口もありません。

雪国の特徴の一つには広く大きな排水口や用水路があります。

目的は雪を流し、捨てることにあります。

雪を捨てるために蓋をすぐに外せるようになったものもあります。

大きな塊をすぐに捨てられるように設計されているのです。

しかし、東京の排水口はいささか小さいものです。

 

結果として何が起きたか?

排水口の上に雪がつもり、機能を果たさなくなった結果、

雪解け水がたまり、道路が冠水してしまったのです。

昨年の2回めの大雪の後の道路の惨状はそのような結果生まれたのです。

 

雪に対する都市設計というものを考えさせられた大雪でした。

 

言い間違い、書き間違い

娘が学校から、『おとしだま募金』なるものを持ってきました。

お正月にお年玉をもらったら、その中から少しでもいいので、里子への募金をしましょう、という趣旨でした。

娘は、それを書き留めたのですが‥

ちょっとちがう‥(笑)

otoshidama

子どもの言い間違いは可愛いですね(*^_^*)

他にも、絵本を読んでいて、
『女の子にいちまいのカードがとどきました。』
というくだりを、
『女の子にいまいちのカードがとどきました。』と。

うーん、だいぶちがうけど‥(笑)

子育てに追われ、余裕のない日々ですが、少しほっこりしました。

オラフのチョコまん

師走も半ばを過ぎて、寒さも一段と厳しくなってきました。

春に公開された『アナと雪の女王』は、相変わらずの人気で、クリスマス商戦では様々なグッズが私達を楽しませてくれています

そんななか、見つけてしまいました。

 

オラフ!
ファミリーマートで買い物ついでに、何か暖かいものが欲しくて、肉まんのショーケースをのぞいたら、『オラフのチョコまん』なるものが!

ネット上では、錦織圭とか、えなりかずきとか、柳沢慎吾とか言われていますが‥

 

似ているかどうかはさておき、買ってみました。

自宅で開けて見ると、お店のお兄さんがキッチリ紙にくるんでくれたおかげで、ホカホカでしたが、鼻骨骨折の惨事に‥
お写真を撮るため、急いで美容整形を受診(笑)

気を取り直して撮影して、さあいただきます!

oraph1
中は、トロトロのチョコレートクリームでした。

チョコの甘さが苦手な娘には遠慮されましたが、私は美味しく頂きました。
ファミマにお立ち寄りの際は、のぞいてみると面白いかも。

我が家に来たオラフは、錦織選手に似ている気がしました。

お近くのオラフは、誰に似ているかしら?

oraph2

かいさーん

いえいえ、選挙のお話ではありません。

 

傘が壊れました。

今の東京には傘の修理屋さんがいないので、

(昔、地元にはいたんですよ。

小学校の時にちゃんばらで壊した傘をよく修理してもらっていましたが。)

仕方ないのでゴミに出そうかと思いました。

 

しかし、ウチの奥様曰く、

傘は分解しないとゴミにしてくれない。

ということなので、先日奥様が傘を分解していました。

 

これは布の部分ですね。

kasa

きれいな八角形をしています。

中心部分は少し盛り上がっているので分かりにくいのですが、

丸く穴があいています。

その部分には1枚あて布がしてあり、更に傘の先端部分でネジ止めをしているために

中心部分から水が漏れることが無いのです。

 

普段使っているものが壊れた時で十分なので、

一度分解してみると面白いかもしれませんね。

特に日常で使っているものがどのように作られているのかがわかれば、

少しは楽しくなるかと思います。

 

まだおへそを出して寝ていても大丈夫

10月になり、朝晩がだいぶ涼しくなりました。

今回は寝るときの体勢のお話です。

 

最近良く聞く質問が、布団をどうしましょう?

なのですが、答えは決まっています。

「薄く」

です。

極端な話、布団はかけなくても大丈夫ですよ。

 

もともど子どもは暑がりです。

基礎体温も高く、また、お風呂から上がった直後は「ほっこり」して、更に体温は上がった状態です。

そんな状態で布団をかけるなんて、無理ですよね。

もしもかけたとしても自分で剥がしてしまいますよ。

 

だったら無理にかけない。かけるにしてもタオルくらいにしておく。

それが一番(親子それぞれにとって)ラクちんな状態です。

おへそを丸出しで寝ていてもいいのです。

 

え、寒かったらどうするのか?

そしたら自分で温かいところを探していますよ。

自分で布団を引っ張りだすか、親のそばに寄って寝ています。

 

まあ、子どもが寝るときなんて、そんなものです。

あまり心配しないでも大丈夫。

子育てのコスト

という考え方があります。

このコストは金銭的なものだけではなく、時間的なものや、手間なども含むものです。

子育てにかかるコストは年々高くなっているという印象を強く受けるのですが、

今回もそのコストを更に押し上げかねない事件がありました。

 

2014年9月現在、神戸で起きていた女子児童の行方不明事件です。

この事件は、最悪の結果となりました。

 

「もう、小学1年生を一人で歩かせることができないのか」

というのが、現在の考えです。

 

同じくらいの娘を持つ親としては、非常につらいものです。

小学1年生は早く家に帰ってきますが、一人でお使いにも行けない。

図書館にすら一人で行くことができないのは自分が子どもだった時と比較すると、

やるせない気持ちになってしまいます。

(田舎で育ったので、都会育ちの人はまた違った感想をお持ちかもしれませんが)

 

小学生の外出に親が一緒に行く。

このことは親にとっても非常に負担になるものです。

物理的に時間が取られます。

10分お出かけするのに準備も合わせて30分かかるわけです。一人で準備させるにしても。

(実際は面倒を見るので更に時間がかかる)

また、現在行っている作業を中断するので元に戻すのに更に時間がかかります。

 

実際に子どもの付き添いに出かける以上に作業は滞ることになります。

 

人出があればいいって?

どこにありますか?

祖父母が近くにいればいいでしょう。でも、そうじゃないひとは?

共働きの人は?

下に小さな子がいる親は?

(下の子の準備をするのにも時間が取られるのです)

「じゃあ、どうすればいいのさ?」

というのが、現在の心境です。

 

・・・これ、社会に対してもいいものではありません。

子どもを育てるのに手間がかかる。

まあ、これは当たり前かもしれません。

でも、今まで一般的には「手がかからなくなり始めた」

と認識される小学生になっても、現在以上にコストを掛けなければいけない。

ということになれば、どうなるのか?

 

いくつかの影響は出てくるでしょう。

まず、社会の労働力は減ります。確実に。

これは自分の経験からも明らかです。

というのも、人材募集の時には結構応募があるんですよね。

小学生の子を持つお母さんの。

これらの人は社会に出て仕事をすることが難しくなってしまうでしょう。

 

もう一つの影響は、出産の問題です。

もう子どもは産まないよ。最初から子どもを作らないよ。

という流れになる可能性もあるでしょう。

だって、そうですよね。子育てに余計時間を割かねばなりませんから。

出産を希望しない。子どもの数を増やさない。

という変化が起きる可能性もあると思います。

 

一人の親としても、子どもに携わる職業に就いていることを差し引いても

頭の痛い問題です。

ライナスの毛布はその辺のものでよい

FEILER(フェイラー) ウオッシュタオル ハンカチ リトルスキッパーズ/ブルー(25x25cm) フェイラー ハンカチ

ライナスの毛布、ご存じですか?

ライナスとはスヌーピーの漫画に出てくる男の子のことです。

この子がいーっつも引きずっている毛布のことですね。

 

このライナスの毛布の役割は精神安定剤。

持っていると安心するものの総称です。

 

これ、最近特別なものが売っているんですね。

いやあ、びっくりしました。

 

別にこれは特別なものを用意する必要はありません。

その辺の毛布やタオルが本人にとって特別な「ライナスの毛布」になるのです。

 

ウチの長女のライナスの毛布は「フェイラーのヒョウ柄のタオル」です。

じつは私も小さな時にはライナスの毛布を持っていました。

一代目は通称「ピカピカ」。その理由はチョウチンアンコウの柄だから。

2代目は「アオ」。青色のタオルですね。

3代目は「アカ」。同様に赤い色のタオルです。

4代目はありません。

「アカ」がライナスの毛布であることに気が付いた母親が、 タオルを細かくし、

それを渡して、ぼろぼろになったらそれを捨てる。

そして新しいかけらをわたす。

ということをしていたので、かなり息の長い存在でした。

 

この親子2代のライナスの毛布たちをみていて気が付くことは

その辺にあったタオルなり毛布なりがライナスの毛布に昇格するということなのです。

 

私のきっかけはよくわかりませんが、娘の場合はきっかけはただ一つ。

一人でおばあちゃんの家に泊まりに行くときにもっていった母親のタオルだから。

です。

ほかにも共通点があります。 手触りがよいことです。

ごわごわしたタオルはどうもよろしくないようです。

ライナスの毛布は専用のものを買う必要はありません。

安心毛布。セキュリティ・ブランケットなどとも呼ばれていますが、

新しいものをポンと渡して、

「今日からこれをライナスの毛布として使いなさい」 といわれて使えますか?しませんよね。

 

 

ということでライナスの毛布はその辺のタオルがちょうどよい。 と考えられるのです。

スイミーがない!

小学校1年生が我が家にいるので、教科書を読んでみました。

 

・・・自分の時に比べると非常に薄くなった印象があります。

特に国語の教科書。こんなに薄かったっけ?と思いました。

 

内容を確認してみると、

あれ、スイミーがない!

 

詳しく調べてみると、スイミーは小学校2年生のお話でした。

なーんだ。びっくりした。

NHKスペシャル 人体 ミクロの大冒険

昨日プロローグ、今日は第1回でした。

 

この手のNHKスペシャルと人体との関わりは以前にもありましたね。

「驚異の小宇宙 人体」でしたっけ。

もう25年も前の番組になるんですね・・・

今調べてみてびっくりです。

 

番組を見た人はお分かりかと思いますが、

以前と比べ、遥かに多くの知見が得られているのを目の当たりにしていると思います。

また、今回もCGはすごくきれいな物がありましたね。

 

でも、もう一つの視点でも見てほしい事があります。

前回のスペシャルの時には検査といえばCTやMRIくらいしかありませんでした。

化学的な結果についてもぱっと見わかりにくいものであったと思います。

しかし、今回の検査結果は非常に多種多様な物がありました。

病理検査の結果や画像検査の結果についても、単純に画で示すだけではなく、

CGにより、非常に鮮明にはっきりとした画像を視聴者に見せてくれています。

まあ、こちらもコンピュータの進歩の一つの現れなのですが、

光学技術の進歩も同時に目の当たりにすることができます。

 

そうやって考えていくと、情報処理技術の発展というものをまざまざと見せつけられるテレビになっていますね。

 

次回以降も期待して待ちたいと思います。

親指かくし

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先日、家族で散歩をしていた時の話です。

進行方向から大きな犬を連れて歩いているおじさんがやっていくるのが見えました。

いつも通勤の時に見知っているおじさんです。

 

すると、娘が慌てて言いました。

「大きな犬が来た時には、親指を隠さなきゃいけないんだよ」

・・・?

 

あれ、なにか違う。

確か、自分が子供だった時にも親指を隠すことは有りました。

でも、犬だっけ・・・?

 

妻も同じように怪訝な顔をしています。

 

ということで家に帰ってから調べてみました。

 

この親指隠しは昔から伝わるおまじないのようです。

対象は霊柩車。一部には救急車も含むようですね。

 

では、何故親指を隠す必要があるのか?

これは、「親の死に目に会えなくなるから」「親が不幸にあうから」

ということみたいです。

親指=親

というわけですね。

 

じゃあじゃあ、霊柩車が出現する前はどうだったのかというと、

「葬列」が通り過ぎるまでずっと

ということだったようです。

時が変われば同じものでも少しずつ変わっていくのですね。

・・・霊柩車を見た時に同じことをしようと思ったのは一体誰だったのでしょう?

 

もう一つ。我が娘が大きな犬を見た時にどうして親指を隠すようになったのか。

だれを介して情報が曲がって伝わってきたのか。

そちらも結構興味深いものがあります。